長崎魂の鐘 体験談4

しかし、夫に両親の悪口になるようなことは言ってはならない。

 

また実の父には、心配するから、言ってはならない。

 

そう思って我慢していました。

 

それは、私の幼少期の母と、祖父母の関係を見てきたからかもしれません。

 

しかし、我慢も要領を超えてしまった時、生きる気力をなくしました。

 

・義母から五百万円取ったと言われた時 

 

・義父から強烈な罵声をあびせられた時

 

この二つは身に覚えのないことです。

 

 

 

全て一方的です。私の意見は聞いてもらえませんでした。

 

“私は何のためにここにいるのだろう”“ここにいたくない”

 

“死にたい”私は毎日、I家の墓へ行っては「早く死なせてください」と言ってました。

 

でも、立ち直らせてくれたのは父です。

 

 

「別れるのは簡単だ。だが、三人の子どもの母からは、逃れることは出来ないのだよ」

 

と言われたからです。

 

 

 

命をかけて私を育ててくれた、ありがたい父のその言葉で、

母として立ち直ることができました。

 

 

(この場面と、父がガン手術で入院した時のこの二つのシーンは、永井博士と重なります)

 

 

けれど、義父母との関係は、うまく行くことはありませんでした。

 

 

ただ心にフィルターをかけて生きてきました。

 

 

それで、今日までの二十八年間を生きてきました。

 

 

(つづく)

 

 

 

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