しかし、夫に両親の悪口になるようなことは言ってはならない。
また実の父には、心配するから、言ってはならない。
そう思って我慢していました。
それは、私の幼少期の母と、祖父母の関係を見てきたからかもしれません。
しかし、我慢も要領を超えてしまった時、生きる気力をなくしました。
・義母から五百万円取ったと言われた時
・義父から強烈な罵声をあびせられた時
この二つは身に覚えのないことです。
全て一方的です。私の意見は聞いてもらえませんでした。
“私は何のためにここにいるのだろう”“ここにいたくない”
“死にたい”私は毎日、I家の墓へ行っては「早く死なせてください」と言ってました。
でも、立ち直らせてくれたのは父です。
「別れるのは簡単だ。だが、三人の子どもの母からは、逃れることは出来ないのだよ」
と言われたからです。
命をかけて私を育ててくれた、ありがたい父のその言葉で、
母として立ち直ることができました。
(この場面と、父がガン手術で入院した時のこの二つのシーンは、永井博士と重なります)
けれど、義父母との関係は、うまく行くことはありませんでした。
ただ心にフィルターをかけて生きてきました。
それで、今日までの二十八年間を生きてきました。
(つづく)