外国映画の話です。
一人の天才少年がいました。その少年は驚くべきIQの持ち主です。
母親はその子に対して特別扱いをしませんでした。
ただ、世間は放っておいてくれません。
少年は英才教育研究者の格好の研究材料にされたのです。
当の本人はというと、知能を至上のものとする英才教育の愚かしさを見通していました。
彼は自由奔放に振る舞います。
そして研究者に、鋳型にはめることの愚かしさを気づかせるのです。
教える立場の研究者が逆に教えられてしまったわけです。
人間は全員が天才である。
これは私の持論です。
人はみな、かけがえのない個性を持って生まれてきます。
それは天から与えられた贈り物です。
天才とは、その天の才能に気づき、自覚し生かして生きる人を言うのです。
親はわが子に、できるだけよい教育を受けさせ、「いい子」に育ってほしいと願うものです。
その願いが、親を胎教や早期教育へと駆り立てることになるわけです。
「いいと思うことは何でもやってあげたい」という親心。わからない訳ではありません。
しかし、そこには大きな問題があります。
一人ひとりの個性は決まっています。ですから、周りの真似をすべきではないのです。
胎教や早期教育は、できあいの鋳型に子どもをはめ込むことになります。
親としてできる最善のことは、「良い人生であってほしい」と祈ることぐらいです。
とかく「いい子」というと、親にとって「都合のいい子」を指している場合が多いのです。
それは、親の価値基準であって、子どもを無理に鋳型にはめ込むことになります。
今までの教育は、試験で高得点をとることが求められてきました。
そして、いわゆる偏差値の高い学校出身者が、社会に出ても優遇されてきたのです。
胎教や早期教育で学べるのは、この従来の教育に沿った競争社会で勝ち抜くノウハウだけです。
(つづく)
「捨てる生き方」より
佐藤康行著
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