育教

教育のあり方を私たちは根本的に見直さなければならないときがきていると思います。

 

 

そもそも教育という字は、「教えて育てる」と書きますが、

これは正確に言うと間違いなのです。

 

本来は「育つ方向に向かって教えてあげる」という意味で「育教」にしなければいけないのです。

 

英語のエデュケーションの語源は、ラテン語で

「その人の持っている能力を引きだすこと」という意味を持っています。

 

こちらが正しいのです。

 

 

多くの親の子供の育て方は、ちょうど盆栽に似ています。

 

 

自分の考える美にあてはめるために、枝葉をチョキチョキとハサミで切ってしまいます。

 

子どもに対しても自分の思ったように育てようとします。

 

これが大きな間違いなのです。

 

子供もそれぞれ、世界に一人しかいないユニークな存在なのです。

 

たとえ親でも、将来その子がどういう人間に成長するかはわかりません。

 

わからないにもかかわらず、なぜ自分の考えに当てはめていこうとするのでしょうか。

 

わからないのに形にはめるのはとてもおかしなことなのです。

 

 

以前、ある病院長の息子が相談にきました。

 

親からは病院を継ぐようにと、医大に入学させてもらったのですが、

自分ではどうしても向いていないという気持ちが強いというのです。

 

一方で親の意に沿いたいという気持ちも強いだけに悩んでいました。

 

 

私が彼の深い心を観たとき、医者には向いておらず、

医学が好きでもなんでもない。

 

 

むしろ芸術家に向いているということがわかったのです。

 

私は母親に、病院を選ぶのか、才能を開花させることを選ぶのか

どちらなのですかと問い詰めたのです。

 

彼の母親は、息子の才能を開花する方を選択したのです。

 

彼はいま芸術の道を歩みはじめています。

 

 

どう成長していくのかをよく見極めて、それに沿って、

いいところを促進、ズレたら調整してあげるのです。

 

 

何に夢中になっているかをよく観察し、自然と育つ方向に向かって調整してあげるのです。

 

 

そこに親の好き嫌いを加えないことです。

 

最近は少子化が進み、どうしても子どもに対して、

愛情ゆえに心配しすぎて過保護になる家庭が多いようです。

 

 

手をかけすぎて、自分で決断できない子どもにしてしまうのです。

 

 

昔から、「親はなくても子は育つ」といいます。

 

 

自分がいなければこの子はダメ、と思っている母親がいますが、

親がいなくてもみんな立派な大人になっているのです。

 

 

「なぜ本気で自分を活かさないのか」より

佐藤康行著

 

 

 

 

 

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