先日の佐藤康行長崎魂の鐘講演会で、夫婦での体験談を沢山の方に聞いていただき、
本当にありがとうございました。
講演会が終了した時に、ある方からお声がけをいただきました。
そこから、その方とご縁をいただきました。
お電話で体験談を伺ったのですが、あまりにも凄すぎて驚きました!
そしてなんと直筆のお手紙をわざわざ送っていただいたのです!!
拝読していて、涙が溢れて大変でした。
あまりにも素晴らしいので是非、このブログを通じてみなさまにもお届けしたいのですが、とお伝えしたところ、快く了承していただけましたので、数回に渡ってこちらに掲載をして参りたいと思います。
嫁姑問題で悩み苦しんでいらっしゃる方々に、一人でも多くこのエネルギーが届くことを祈っております。
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多澤御夫妻様
先日は、お電話で失礼いたしました。こんなに早く、つながっていくんだ、とただただ感激いたしました。
私の自己紹介を少しさせていただきます。私の父は、ラインにも書きましたが、壮絶な被爆体験をしております。
戦後「教育」に希望を抱き、戦後すぐ高校教師として働きました。
母と結婚しましたが、父は病気がちで、私がものごろこつく頃は、倉敷の病院に入院しており、近寄りがたい存在でした。
今から思えば、家族(祖父母・父・母・私・弟)それぞれの立場で、いろいろなことを感じ考えながら過ごしていたと思います。
特に母は祖父母との関係が上手くいかず、父が不在の中、私を抱いて泣いていたこともあります。
子ども心に、何でこうなるのか、こんな家庭はつらいな、仲良くしてほしいなと、感じると同時に、家庭を持つことの大変さや、しんどさも何となく感じていました。
そんな時(私が十才の時)母がガンで亡くなりました。生活は一変しました。
その一年後、父が入院手術。(しかしそれがガンのための手術だったことは、私が二十才の時、知りました)
奇跡的に職場復帰。
しかしその一年後に、祖母が倒れ、寝たきりに。そしてその一年後、祖母を看ていた祖父が倒れ、寝たきりに。
二人が亡くなる十年間、父は何もいわずに、眈々と、仕事と介護やりながら、私たちを育ててくれました。
私も高校に通いながら、病院に寝泊まりして介護してきました。
こう文章に書くと、壮絶な、と思われるかもしれませんが、人とは違う生活であっても、
なぜか、つらいと思ったことはありませんでした。
“みんなで生きている”という気持ちでした。
(つづく)