我が家は無限次元

息子の引っ越しのお手伝いをしてきました。

 

 

 

勤務先が本州から北海道に変わるためです。

 

 

 

息子と主人は会うたびにケンカをします。

 

 

 

一緒に居た娘も「めんどくさ・・・・・」とつぶやいていました。

 

 

 

息子の役に立とうとして空回りをする主人

 

 

 

自分の人生の責任を一生懸命自分で考え、先に進もうとしている息子

 

 

 

その狭間に立たされる私

 

 

 

激しい愛のぶつかり合いで、目の前が真っ暗になりました(>_<)

 

 

 

 

「また始まった・・・・」とついつい心の中でつぶやいてしまう自分がいます。

 

 

 

 

まぁ、飽きもせず、という感じなのですがどちらも自分の言い分があるのでしょう。

 

 

 

あっちを立てればこっちが立たず

こっちを立てればあっちが立たず

 

 

 

まさにこんな感じの地獄絵図

 

 

 

 

家族の心がバラバラになり、みんなそれぞれが嫌な気分で帰って来てしまいました。

 

 

 

 

帰りの車中では、主人のゴミ出しが止まりませんでした。

 

 

 

そしてついに「お前と俺の家系の因縁だ!」と全くその通りの言葉を激怒しながら怒鳴りつけられました。

 

 

 

 

怖くて怖くて言葉が出てきませんでしたが、暗~い底なし沼に全身を引きずり込まれたようなイメージが出てきました。

 

 

 

 

そういえば、長い長い子育ての期間は、何年も何十年もこんな中にいた自分でした。

 

 

 

おそらく重度のうつだったのでしょう。

 

 

 

 

夫婦は同じ傷を持ってることがある

 

 

こんなことを聞いたことがありました。

 

 

 

暗闇から光へ

 

 

 

ここが夫婦の課題なのだと実感をしました。

 

 

 

そして、先ほど佐藤学長の「無限次元」という満月の法則の映像を見たのですが、

こんなイメージが湧きました。

 

 

 

今までは「無限次元」ってどこか雲をつかむような話として聞いていて、

「こりゃ、無理だ!出来ないわ」と思い込んでいた自分。

 

 

 

ですが、この泥沼の中から一刻も早く出たい私は必死です!

 

 

 

 

イメージとしては、自分と様々な環境の真上に光が浮かんでました。

 

 

その光は自分のすぐ頭上近くにあったため、照らしているゾーンがごくごく狭くて、自分と自分の周囲を狭い範囲で照らしているのです。

 

 

 

ところが、その光がちょっとずつ、上へ上へと上がっていくと、照射されるゾーンがどんどん、どんどん広がっていき、周りの暗闇が明るくなるではありませんか!!

 

 

 

良いことも悪いと捉えていることも、その光によって、全てが愛の産物だったと見えるようでした。

 

 

 

 

つまり、この光を上にどこまでもどこまでも、伸ばしていく(次元を上げていく)ことが無限次元なのではないか、という感じと捉えました。

 

 

 

あくまでも私の感覚なのですが!?

 

 

 

 

そして、そんなことをボーッと考えていたら、「バッティングセンター」という言葉が出てきました。

 

 

 

 

この環境は、いえ、この人生は自分の次元を上げていくためのバッティングセンターなのだ

 

 

 

そのボールを投げ続けてくれているのは家族なのだ

 

 

 

「力を付けなさい」とその役目をしてくれているのだ

 

 

 

 

 

 

ただ、打席に入ってバットを持ってるだけじゃ力はつきません。

 

 

 

バットを振る(実践)

 

 

そして、ボールをしっかりと見て中心を捉える(愛の方向へ)

 

 

打てても打てなくても打席に立ち続け、バットを振る(継続)

 

 

そして、やり続けている自分をしっかりと認める(認めた物が現れる)

 

 

 

少しずつ少しずつ、早いボールも、もしかすると変化球にも対応出来る力がつくのかもしれない

 

 

 

まさに、我が家はバッティングセンター

 

 

 

でも、そこはあくまでも練習場なのかな

 

 

 

私にどこまでもどこまでも、無限次元で力をつけさせてくれる場所です!

 

 

 

新幹線は真っ直ぐ行くけど、ヘリコプターは上に行く

横に行きながら上にも行けたら、よりもっと広く見えるわけ

もし、それが同時に出来たら

 

上にも果てしなく上がっていくし、横にも果てしなく同時に行く。

それが可能

 

 

新幹線が横に行く、ヘリコプターは上がっていく

 

 

私たちは見下ろす事も出来るし、横を眺める事も出来るし、天を見ることも出来るわけ

 

下を見た時に、俯瞰して色々な物が見える。

しかし、見た時は、そういうものはないわけ

 

無い故に、自分の中にあるものが濾過される、透明化されるわけ。空を見た時に

 

透明化されて下界を見た時に、東名道が増したために正しく見れるわけ

 

空しか見てないから、雲が突き抜けた時に、雲も無いわけ。

青々として大宇宙が広がっているだけなわけ。

 

佐藤康行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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