【同じ水で同じ水は変わらない】
田中さんのご両親についても伺ってみました。
「嫁であり、血のつながっていない田中さんが一番の救世主!同じ水で同じ水は変わらないってことですね?」
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私の母は、姉にも私にも、救世主とはいいませんでしたけど、そのようなことを言っていたことを思い出しました。
「嫁の役目は」と。
そして、例え話で、「襖が合わなくなったら、家を削らずに、襖を削るでしょ?」とか、そんなことを教えてくれる母でした。
そして、亡くなる瞬間まで、しっかりしていて、母の家で最期を迎えたのですが、姉と私が母の首の汗を拭いてあげようと2人の腕が入った瞬間に、母は息を引き取りました。
本当に凄い最期でした。最後は、母の枕もとで成功と幸福を呼ぶ言葉を二人で読みました。
母は亡くなる10時間前まで、トイレにも自分で行って排泄をしていました。
心臓の弁が固くなっていて、「もっと若ければ手術ですけど」と言われてから、一か月間入院をして、退院後、一か月で亡くなりました。
母が亡くなる5日前、1月2日お正月に姉の家族と私の家族全員が集まった時に、みんなベットの横に並んで一人ひとりに声をかけてくれて、私の長女には、
「あんたは長男の嫁なんだからね、しっかりするんだよ!」
と声をかけてくれ、みんなと最後のお別れをしたんです。
母は先妻さんの子供を二人も育てて、先妻さんの事もお世話するような人だったんです。
先妻の所には他に二人の娘さんもいて、その娘さんたちもいつも我が家に来ていたんですよ。
本当に懐が大きい母だったんです。
愚痴とか聞いたことがない人でした。お婿さんのことも孫たちのことも、いつもいつも
「素晴らしい孫たちとお婿さんたちがいてくれて、私は幸せだぁ」
って言っていました。
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実のお母さんと義理のお母さん
相反するかのように思えるお母さんたちですが
これらの出来事を田中さんはどのように受け止められ、どのように真我の追求へと結びつけていったのでしょうか。
次回は、田中さんシリーズ「鬼ババァは鬼のままで!」の最終になります。
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