「4泊5日かぁ・・・・長すぎるなぁ!疲れるし」
そんな主人の不安と心配をよそに「さぁ、行くよ!」と出発をしました。
日本一早いさくらの開花宣言と、意味不明の道路の冠水を目の当たりにし、その間、「この長崎に身を置いていることが一番の目的」という思いが、ふつふつを湧いて来ていました。
観光バスを予約して、原爆記念館や大浦天主堂、グラバー邸などを見て回りました。
平和公園では、私たちが到着すると「原爆を許すまじ」の音楽が流れました。
毎日、原爆投下の11時02分に流れるのだそうです。
35年ぶりの平和祈念像は新しく色が塗り直されたらしく、テカテカと光ってました。
次に原爆資料館へ
時計の音が「カチカチ・・・・カチカチ・・・・」なっていたのが印象的でした。
原爆当時の町並みや、写真がありましたが、空間がとても暖かく愛おしく、
なぜか心が喜んでいました。
そして、永井隆先生の写真や、言葉が目に飛び込んで来たときは、ただただ感激しました!
永井先生は沢山の著書を残されていますが、一文字書いては、息を整え、また一文字書いては息を整え、亡くなるまでその手に持たれていた鉛筆を見て、魂が震えました!!
小さく小さくなっていた鉛筆
その鉛筆が永井先生の思いをこの世に残す唯一の手段だったと思ったとき、強烈な使命感が私の中から湧き出てきました。
私はこんなに恵まれているのに、まだまだ全てを出し切っていない!
まだまだやれることがある!
残さなければ・・・・
何かが強烈に私を突き動かしてくれているという確信
そして「長崎の鐘」が頭の中に流れてきました!!
佐藤先生から、何回も何回もこの曲を聴いてみること、というお話がありましたので、
毎日毎日、聴いていました。
すると、あるとき声がきこえて来ました。
「戦没者、過去のすべて、未来の希望の光が、佐藤先生を喜びでお待ちしています!」
その瞬間、涙が溢れて止まらなくなりました・・・・・・
(つづく)
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