日々、生活をする中で、人と接しているとき、または一人で居るとき、何かを見ているとき、刺激があろうがなかろうが、瞬間瞬間、自分の中から沢山の思いが湧き上がります。
時に、父が出てきたり、母が出てきたり、一瞬たりとも黙っていません。
以前は、そこをどうにかしたくて苦しみもがき、家族に当たり(言葉に出さずとも心の中で)、相手をさげすみ、自分を追い込みまくりということが長年続きました。
心のゴミならぬ、心の粗大ゴミに手を焼いていました。
分かりやすいと言えば、分かりやすいのです。
ゴミですから、定期的に溜まってきます。
ですので、放置していると臭ってきます。
そこで、ゴミ出しと内観光受をセットで毎日やっています。
やっていると、新しいゴミや昔のゴミや、様々なものが渾然一体となって出てきます。
放置しているのは「どうやら、ダメだ!」と強く思うようになりました。
また、瞑想もするようになりました。
目的を持たずにただやるようになりました。
「その姿勢が素晴らしい」と、以前学長がどなたかにおっしゃっていたことを思い出しました。
どうしても、目的を持ってしまうことがいいことだと思い込んでいるので、これもまた自分を変えていくためには、とても良い習慣かもしれません。
時代が大きくうねりをあげて変わっている今、ひしひしと「どうやら、ダメだ!」という脳の転換が起きているようです。
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道が出来ている。
何をしたいというよりも、道が出来ている。
したいということは、思う必要はない。
何をやりたいとかではなくて、それを発見すればいい。
「何をやりたい」っていう世界じゃない。
「何をやりたい」っていうと、それが見えなくなる。
苦しくなるから、やりたいなんて思わなくていい。
佐藤康行