いのちの花束

とあることから、子供から「今後、一切、かかわりを持ちたくありません」という

メールが届きました。

 

 

まぁ、我が家ではあるあるの感情のもつれというものです。

 

もつれたのは、娘と主人

 

 

私は、「なんで、そうなるの?」というコント55号状態でした。

 

 

あっちを立てれば、こっちが立たず

こっちを立てれば、あっちが立たず

 

 

 

かれこれ30年以上もこういうことの繰り返しが続いていたので、

久しぶりにガーンと来たときは、一瞬、ショックと悲しみが渦巻きましたが、

「きっと、何かを教えてくれているんだろう」という満月前提に捉えました。

 

 

 

娘から気持ちを聞いたり、主人から言いたいことを聞いたりしているうちに

似た者同士だな・・・と思ったのですが、真我は感情を超えているので

そのどちらも答えは違うのだと思いました。

 

 

 

そんな時、娘とよく買い物をするスーパーに立ち寄りました。

 

 

そこで交わした会話や、楽しかった思い出がまるで走馬灯のように

バーーーーーっと浮かんだのです。

 

 

 

その瞬間「もう会えない」という時間と事の重要さが身に沁みました。

 

 

 

本当にお別れなんだ・・・

 

 

 

すると、娘の全存在が私の中から湧きあがり

買い物をしながら号泣・・・・

 

 

 

もう感謝しかない・・・・

 

 

そんなことを思っていたところ

 

「時間は花束・・・いのちの花束」という言葉が浮かびました。

 

 

 

そう、たくさんの命の花束をど~んと頂いていたのです。

 

 

なんて凄いことなんだろう!

 

 

2人のけんかを通して、さらに深い捉え方が出来ていることに感動しました。

 

 

まだまだ課題は続くようです。

 

 

「満月が大前提」という答えが先

 

佐藤康行

 

 

 

 

 

 

 

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