心の不思議さに興味を持つきっかけになったのは
今から40年ほど前のことでした。
偶然見ていたテレビで子どもを殺害された母親のインタビューをしていました。
同じような時期に、同じような年頃の子どもさんを突然、殺人事件に巻き込まれて亡くされたお二人の母親でした。
一人は、一生涯、犯人を許さない
いつかこの手で自分も犯人を・・・とおっしゃっていました。
そして、また別の番組だったでしょうか。
また、同じように子どもさんを突然殺害されたお母さんがインタビューに答えていたのです。
その方は、表情がにこやかでおだやかでした。
そのお母さん曰く、「確かに子どもを亡くした悲しみは一生涯忘れることが出来ません。しかし、一生をこの悲しみと怒りの中で過ごして、亡くなった子どもが喜ぶのでしょうか?私は、子どものためにも、悲しみと怒りの中で生き続けるのではなく、自分の中にある愛の心で生きる決心をしたのです!」
そのような事を答えられていました。
同じような出来事、同じような苦しみや悲しみのはずですが、
私はそのインタビューがずーーーっと心の片隅から離れることがありませんでした。
なぜ、このように捉え方も表情も生き方、考え方が違うのか
なぜ、そのようなことが可能なのか
自分だったらどうするのだろうか
亡くなった子どもさんたちの存在とはなんだったのか
その問いは自分自身への問いかけとして今でも心の片隅にあります。
唯物主義者は、ものが現れて初めて信じる。
形がないと信じられない。
その前に心で決定して形になって表れる。
言葉に沿ってやり続けるのが誠意の問題。
人類が試されている。
佐藤康行
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