いつもありがとうございますm(_ _)m
先日、わらび座講演会を観賞しました。
この観劇は、実は2回目!
リメイクしたものを見ました。
その中で村の借金、婿に入った家の膨大な借金を返済し続けるということが
心に響きました。
前回、見たときは「こんな偉人がいたんだ」という程度でしたが
なぜか今回はその「借金」という言葉が三日月を満月にすることのように捉えられてなりませんでした。
そのために、個からではなく、全体のことをまず考える事
よく見て、よく考えて、やってみること
やりながらそのための知恵を絞り出すこと
自ら実証してみせ、納得してもらうこと
その人の名前は石川理紀之介・・・
家族で資料館にも足を運んだことがありました。
晩年、書いたという習字の書が数枚・・・
その中に「神」という文字がありました。
全国に必要とされては無償で足を運んでいた時に
持ち歩いていたもの
この世を去ったときに身に付けていた財産・・・
それは、
箸(マイ箸の走りだったと資料館の方は教えてくださいました)
4つにたたまれた白い布
他にあったかもしれませんが印象に残ったのものがこの二つでした。
この白い布はなんですか?
資料館の方に尋ねてみたのです。
答えを聞いてびっくり!!
村の立て直しをしている最中にいつ死んでもいいように
持ち歩いていた打ち覆いとのこと
命を掛けていたことがそのことでわかりました。
なぜここまでするのでしょう?
その壮絶な生き様にまたしても質問をしてみました。
その答えがまたしても以外でした。
答えは「理紀之介がそういうことが好きだったからじゃないですかね^^」
思わず笑ってしまいました。
私も三日月という借金を満月で返済し続けるのが
好きなのかもしれないなと思いました。
自分の与えられた役割を100%演じきったときにそこから引き出されてくる。
力はそこから100倍も1000倍も出る。
その時に人はおのずと協力をしたくなるのだ。
天がそのように働くと言っても良い。
これが天命を生きるということなのだ。
佐藤康行